親湯温泉について
当社は長野県の蓼科と上諏訪で3つの温泉宿の経営を行っています。本館の蓼科親湯温泉は大正15年創業の老舗温泉宿。
2018年4月にリニューアルオープンし、蓼科の歴史を引き継ぐ宿として生まれ変わりました。また姉妹館として2011年4月に上諏訪しんゆ温泉が、2016年6月には萃sui-諏訪湖が上諏訪にオープンしました。
当社の強みは、戦略を中心とした旅館経営。ターゲットを明確化した戦略をとり、当社の経営する宿の客室稼働率は年間80%以上(全国の旅館客室稼働率の平均は年間わずか約40%)。社員は10代、20代の若い社員達が多く、皆お客様に喜んでいただこうと一生懸命働いています。その直向きな姿勢はお客様からの評価も高く、「よかったよ、また来るね」と言ってくださる方も数多くいます。そう言ったお客様からの言葉、喜ぶ姿は社員達のやりがいと支えになっています。私たちと本当のやりがいと喜びが得られる仕事をしませんか。
店舗
創業大正十五年蓼科親湯温泉
大正十五年創業のもうすぐ100周年を迎える温泉旅館。
2018年からリニューアル工事をはじめ、新しく3万冊の蔵書ラウンジと個室レストランが誕生、そして全客室も新しく生まれ変わりました。大自然の懐に抱かれた渓谷の一軒宿で大人の寛ぎを提供する職場です。
神秘なる諏訪湖に心癒される宿上諏訪温泉しんゆ
2023年リニューアルの癒しの宿。館内は、幻想的な物語に仕立てた水墨画とアールデコとの融合をお楽しみいただけます。諏訪湖の景色を始め、どなたでも快適な空間と私たちの温かいおもてなしで癒しを届ける職場です。
寛ぎの諏訪の湯宿萃 sui- 諏訪湖
屋上に諏訪湖を見渡せる展望露天がある萃は2016年6月にオープン。客室は全8室のみで、その全てに露天風呂がついた贅沢なお宿です。ロビーの囲炉裏茶の間、庭園など和の雰囲気の中でお客様をもてなす職場です
歴史
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天文
- 1542年
- 武田信玄が諏訪地方を領有(天文11年)
- 1552年
- 甲州から川中島への最短距離を辿ったとされる「信玄の棒道」が、八ヶ岳山麓にできる。山深くにあった蓼科 親湯温泉は、その頃から傷病兵たちの湯治湯として利用された。(天文21年)
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慶長
- 1601年
- 初代諏訪藩主諏訪頼水が、蓼科 親湯温泉を直轄統治(慶長6年)
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明治
- 1904年
- 歌人伊藤左千夫や日本画家平福百穂が、歌人篠原志都児の招待で蓼科 親湯温泉に長期滞在。蓼科の様子を作品で紹介し、関東圏に中部圏で蓼科が広く知られるようになる。そして、多くの文人歌人をはじめとした文化人が蓼科 親湯温泉に訪れる。この頃、文化財にもなっている“蓼科山歌”を伊藤左千夫が蓼科 親湯温泉で詠んだ。(明治37年)
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昭和
- 1944年
- 蓼科 親湯温泉は野比海軍病院の保養施設として所有権ごと強制的に接収された。(昭和19年)
- 1949年
- 合資会社親湯温泉設立。(昭和24年)
- 1988年
- 蓼科 親湯温泉 建て替え工事(昭和63年)
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平成
- 2006年
- 蓼科 親湯温泉 リブランディングにおけるリニューアル工事(平成18年)
- 2011年
- 上諏訪温泉 しんゆ開業。(平成23年)
- 2016年
- 萃 sui-諏訪湖開業。(平成28年)
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令和
- 2026年
- 蓼科 親湯温泉100周年を迎える。
会社概要
社名 | 合資会社 親湯温泉 |
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開湯 | 1601年(慶長6年) |
創業年 | 1831年(天保2年) 親湯温泉の前身 巌温泉 創業 1926年(大正15年)6月 親湯温泉 創業 |
会社設立 | 昭和24年10月21日 |
商号 | 創業大正十五年 蓼科 親湯温泉 |
代表取締役社長 兼プロデューサー |
柳澤 幸輝 |
住所 | 長野県茅野市北山4035 |
電話 | 0266-67-2020 |
FAX | 0266-67-3348 |
事業内容 |
■ 温泉旅館の経営
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地域貢献活動
当社では地域貢献活動に積極的に取り組んでおります。
- 観光協会、旅館組合への全面的協力
- 蓼科地域、諏訪湖周辺美化活動
- 地域史調査及び、絵本発行